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寝ぐせの王様、ミクジンです
この記事は、オレの心に響いたものを勝手に紹介して書きまくるワガママシリーズです。
映画『岳ーガクー』
最近、石塚真一さんの漫画『岳』を原作とした映画を観ました。
観た時は漫画が原作ということも知らずに、何の前情報もなくただ、
最近山登りに興味あるんだよね…あ、山登りの映画だ!
題名は…タケ?
おもしろそうだなぁ、観てみよ
という軽い気持ちのうえに、題名の読みをおもっきし間違えたまま観たのですが…。
観終わる頃には、
「生きる」
というキャッチコピーの意味をいろいろと考えさせられる、とてもいい映画でした。
そんなわけで、今回はこの映画を観た感想を書きなぐりたいと思います。
ちなみにネタバレも少しだけ含まれますが、物語についてはほとんど触れていません。
映画『岳ーガクー』基本情報
2011年5月7日公開。
本編約125分。
原作:石塚真一
監督:片山修
主なキャスト
島崎三歩:小栗旬
椎名久美:長澤まさみ
野田正人:佐々木蔵之介
阿久津敏夫:石田卓也
座間洋平:矢柴俊博
簡単なあらすじ
山を知り尽くした山岳救助ボランティアの島崎三歩が暮らす山に、新人救助隊員の椎名久美がやってくる。久美は三歩の指導の下、着実に成長していくが、自身の未熟さや厳しい自然の猛威により遭難者の命を救うことができない日々が続く。そんな折、猛吹雪の雪山で多重遭難事故が発生し……。
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「よくがんばった」
主人公は小栗旬が演じる『島崎三歩(しまざきさんぽ)』という人物なのですが、この人、普段から山中にテントなどで寝泊まりしているという尋常でねえ山バカな人物。
山岳救助ボランティアとして遭難者の救助などを行なっているのですが、彼が遭難者にかける言葉がすごく印象に残りました。
なんとか助かった遭難者でも、「遅いよ」と理不尽な文句を言う遭難者でも、たとえ遺体となった遭難者に対しても彼は言います。
「よくがんばった」
しっかりとした計画と準備を行い、それでも仕方なく遭難してしまった者に対して言うなら分かるのですが…。
ピクニック気分で山に登ったあげく、助けたのに文句を言うような人にまでなぜこんなことを言うんだろう。
最初は不思議でした。
でも物語が進んでいろんな遭難者を見て、三歩の過去などを知った時に、少しだけ分かったような気がしました。
山に登る人々はそれぞれがいろんな気持ちを持って登るんだろうけど、ほとんどの人は、
遭難してケガをしたり、誰かに迷惑をかけたくて登るわけじゃない
と思います。
楽しいからとか、うまい空気が吸いたいからとか、いい景色が見たいからとか…。
みんなそれぞれ、いろんな望みを持って登るはずです。
でもやっぱり自然の中では何が起こるか分からなくて、時には迷ったりケガをしたり、人に迷惑をかけたり…命を落としたりもする。
望んだわけじゃないのに。
たぶんそれは山に登ることだけじゃなくて、「生きる」ことについても同じことが言えるんじゃないかなと思いました。
きっとみんないろんなことを抱えて生きてると思うけど、ほとんどの人は楽しく笑って生きていきたいんだと思います。
でも時には迷ったり悩んだり、傷ついたり、突然の事故や病気で命を落としてしまうこともあります。
望んだわけじゃないのに。
そしてわけが分からなくなって理不尽に怒ったり、文句を言って迷惑をかけたり、生きる意味を失ってしまうこともある。
本当はただ笑っていたかっただけなのに。
だから三歩はどんな遭難者に対しても、
「よくがんばった」
って言うのかなと思いました。
遭難したくて山に来たわけじゃないんだ。
悩んだり迷ったり、傷付いたりしたくて生まれてきたわけじゃないんだ。
本当はみんな山を、そして生きることを楽しみたいだけなんだよ。
うまく言えないけど、三歩にはそんな気持ちがあったのかなと思います。
「また、山においでよ」
この映画には、もうひとつ印象的だった三歩の言葉がありました。
「また、山においでよ」
救助した遭難者に三歩が言ったセリフです。
この言葉がなぜかすごく好きで、でもその意味がよく分からずにいろいろ考えました。
山で命を落としかけた人に対して、笑顔でそう言うのはなぜなんだろう。
もしかしたらまた遭難するかもしれないのに、今度こそ命を落とすかもしれないのに。
そして山が怖くなって、もう来たくない可能性だってあるのに。
でも不思議とあたたかい気持ちになる三歩の言葉の意味を考えてみると、やっぱり「生きる」ことそのものを言っているような気がしました。
「危なく命を落としかけて他人に迷惑までかけたから、もうやめた方がいいんだ」
一度遭難したらそんなふうに考えそうだし、また行こうとしたら、周りからなんだかんだといろいろ言われそうですが…。
でも三歩はこうも言います。
「悲しいことが起きるのが山の半分。楽しいことがあるのも山の半分。ふたつ合わさって山なんだよ。生きるのも死ぬのも半分半分。でも、どっちを多くするかは自分で決めることだよ」
山登りも、そして生きることだって、きっと楽しいことばかりでも、辛いことばかりでもないはずなんですよね。
どっちだってある。
みんなそれをどこかで分かっているし、だからこそ楽しい方を多くしようとがんばる。
だけど悲しいこと、辛いことのインパクトが絶大すぎて、これまであった楽しいことが霞んでしまう時があります。
そしていつのまにかそれに飲まれ、山自体が、生きること自体が怖くなる。
まるで楽しかったことや嬉しかったことが、無かったことみたいになる。
だけど分からなくなっているだけなんです。
本当は楽しいことも、嬉しいことだってあったんだってことを。
それを思い出すためには三歩の言うように、また行ってみればいいんだと思います。
行かなきゃ何も思い出せず、すべてが悲しい方だけで埋まってしまうから。
だから三歩は笑顔で言うのかなと思います。
「また、山においでよ」と。
また歩いてみたら違う景色が見えるかもしれないし、見えなかったものや知らなかったものが見つけられるかもしれない。
そして前よりキレイなもの、大事なものができるかもしれない。
山が悪いんじゃないんだよ、生きていることが悪いんじゃないんだよ。
悲しいことも楽しいことも、どっちもあるのが当たり前なんだ。
だから楽しいことを思い出すために、ケガが治って気が向いたらまたおいでよ。
そう言われている気がして、この言葉がすごく好きになりました。
「また行ってもいいんだなぁ」と。
落ちてる時にこの言葉をかけられたら、どれだけ救われるだろう。
最後に
優しい言葉をかける三歩だけど、過去には悲しいことがありました。
痛みを知っている三歩だからこそみんなに優しくできるし、みんなにはなるべく悲しいことになってほしくないと思うのかな。
そして山が大好きだから、山のことを嫌いにならないでほしいのかな。
悲しいことが起きるのが半分。
楽しいことがあるのも半分。
本当は悲しい方を選びたくないから、思い出すためにまた行ってみようかな。
大丈夫、行ってもいいんだ。