【心に響く映画/感想】『容疑者Xの献身』石神がどうしても伝えたかった「ありがとう」

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ミクジン
ミクジン

寝ぐせの王様、ミクジンです

この記事は、オレの心に響いたものを勝手に紹介して書きまくるワガママシリーズです。

『容疑者Xの献身』

東野圭吾の小説を映画化した本作は、『ガリレオ』劇場版シリーズの第1作。

『ガリレオ』シリーズはまだ観たことがなかったのですが、たまたま見つけたので観てみました。

物理学者の湯川学(別名ガリレオ)が事件の謎を解く…という単純な推理ものだと思っていたら、観た後に涙が大洪水になったうえにいろいろ考えさせられるという予想外の展開になってびびりました。

容疑者Xの『献身』とはなんだったのか?

自分なりにいろいろ考えたことを書きなぐりたいと思います。

ちなみにネタバレも多少含まれますが、トリックに関わるネタバレは書かないようにしています。

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映画『容疑者Xの献身』

2008年10月4日公開。

本編約128分。

原作:東野圭吾

監督:西谷弘 

主なキャスト

湯川学:福山雅治

内海薫:柴咲コウ

草薙俊平:北村一輝

石神哲哉:堤真一

花岡靖子:松雪泰子

簡単なあらすじ

顔を潰され指を焼かれるという残忍な殺人事件が発生。内海刑事(柴咲)はいつものように天才物理学者で通称“ガリレオ”の湯川(福山)に助けを求めるが、被害者の元妻の隣人として捜査線上に浮かんだのは、湯川の大学時代の友人で天才数学者の石神(堤)だった……。

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単純な『愛』ではない

いきなりですが、この物語は「殺人を犯してしまった隣人の花岡親子を助けるために石神がトリックを仕掛ける」という話になっています。

そのトリックがまたとんでもなくて、「普通だったらそこまでできねーだろ…いややっちゃダメだろ!」と言いたくなるようなものでした。


『花岡親子を助ける』という目的に向けて、自分の利益やその他のことを一切考えず、『ただ花岡親子が助かることだけ』を考え、実行したことには本当に驚愕しました。


なぜ石神は隣人の花岡親子のために、そこまでのことができたのか?

『愛』と言えばそうなのかもしれないけど、単純な愛だけでないような気がします。

その答えのようなものが物語の終盤、石神の手紙の中に出てきます。

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絶望と救い

物語の終盤、石神は「読み終えたら必ず処分してください」と伝えたうえで、花岡靖子に手紙で胸の内を告白します。

そこで語られたのは石神が人生に絶望していたことと、花岡親子にそこから救われ「感謝している」という内容でした。

石神は手紙の中で、

「救われた」と言ったあとに、

「私が何を言っているのか、あなたにはお分かりにならないでしょう」

と言っています。

隣人として挨拶を交わしたり、花岡靖子の弁当屋で弁当を買うくらいの関係でなぜ救われたのかは、確かに石神にしか分かりません。

でも確かに石神は救われていて、雪山に登った際に、

「美しい。今の僕の人生は充実している。この景色を見て、美しいと感じることができる」

と話していました。

どうでもいい話だけど、自分も昔人生に絶望したことがあって、その時は何も感じなくなりました。

楽しいこともなく、やりたいこともなく、やる意味も分からず、今日も明日も、死ぬまでずっと同じような今日を繰り返すような気がしていました。

また明日も今日が来るなら、明日なんか来なくたっていい。

今日で終わりになればいい。

それはたぶん絶望というやつで、最終的には「早く終わればいい」としか考えなくなった。

でもそこから救われた時には世界が違って見え、『感じることができる』のは幸せだということを知りました。

そしてその時にあったのは、感謝の気持ちです。

石神は絶望から救われたことで花岡親子に感謝し、花岡親子の幸せ『だけ』を願ってすべての計画を立てました。

石神にとってはそれほどに絶望が深く、それゆえに救われたことに対して言葉では表せないほどに感謝していたんだと思います。

だから石神は守りたかった。

花岡親子の幸せを。

たとえ何を犠牲にしてでも。

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「ありがとう」

花岡親子の幸せだけを願って計画を立てた石神でしたが、ひとつ不思議だなと思う点がありました。

それは、花岡親子の幸せを願うのなら、なぜ自分の気持ちを手紙で伝えてしまったんだろうということです。

それがなければ、花岡靖子が最後にあの行動に出ることもなかったかもしれません。

あれだけの計画を立てて実行した石神が、どうしてあんなことをしてしまったんだろうと。

もしかしたら石神は、そうなるかもしれないことを考えつつも、それでもどうしても感謝の気持ちを伝えたかったのかもしれません。

人生に絶望し、すべてを投げ出そうとしていたところから救われた石神。

救われて「充実している」と感じながらも、花岡親子を救うためにやってはならないことをしてしまった石神。

湯川を誘い山登りをした際に、

「今登らないともう一生機会がないかもしれない」

と言い、湯川に対して少し寂しそうに、

「僕には…友達はいないよ」

と言いました。

石神は分かっていたんだと思います。

自分がもう後戻りできないところに来てしまったことを。

だから最後にせめて、どうしても伝えたかったんじゃないかと思うんです。

「ありがとう」と。

たとえ相手がなぜ「ありがとう」なのか分からなくてもいい、でもそれだけは伝えておきたかった。

それはたぶん、石神を動かした感情の源であり、すべてを犠牲にした石神が唯一自分のために行った行為でもあると思います。

本当に花岡親子の幸せを願うのなら、自分の気持ちを手紙で伝えるべきじゃなかったのかもしれない。

でも最後だから、本当に最後だからこれだけは伝えたかったんじゃないかと思うんです。

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最後に

石神のやってしまったことは許されることじゃないし、単純な『愛』と言えるような美しいものでもないと思います。

むしろ本気すぎて、真っ直ぐすぎて恐ろしい。

でもそれは人間の社会の話で、もしかしたら動物の本能みたいなものなのかな、とも思いました。

もちろん人間である限りやっちゃいけないことではあるんですけど…。

うーん、考えだすとキリがないし、正解も分からないですね。

なんか映画の感想のはずが、気付いたら石神に感情移入しまくりの、勝手な解釈書きまくりになっててびびりましたが、いろいろ考えさせられるとても良い映画でした。

最後の涙はどんな感情だったのかな…。

いろいろ考えながらまた観たいと思います。

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