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くるり『魔法のじゅうたん』 出会ったことが全てだったんだ

ミクジン
ミクジン

寝ぐせの王様、ミクジンです

出会ったことが全てだったんだ

くるり『魔法のじゅうたん』

これは『くるり』というバンドのオレの大好きな曲、『魔法のじゅうたん』に出てくる歌詞です。

この言葉はたったそれだけで、人と人との出会いに対する全ての感情を表しているような気がします。

出会った当時の気恥ずかしさやドキドキ。

たまにしてしまうケンカ、なんだかんだで大事に思っていること。

時間が経つにつれて、いろんなことに良くも悪くも慣れてきてしまうこと。

分かっているようで、ほんとは分からないところもたくさんあること。

時間とともに変わっていくこと、失ってしまってから気付くもの…。

言い出したらキリがないですが、でもそれら全ての感情の大元の原因は『出会ったこと』なんだと思います。

生きてると、良い出会いも悲しい別れも必ず誰にでも訪れます。

この曲を聞いていると、たとえ悲しい別れになったとしても、途中経過や別れの理由はどうあれ『出会ったことじたいは悪いことじゃなかったんだ』と思わせてくれるような気がするんです。

くるり『魔法のじゅうたん』

『くるり』23枚目のシングル。

2010年7月28日発売。

この曲は大鵬薬品工業のチオビタドリンクのCMソングにもなっていた曲です。

『くるり』はチオビタドリンクのCMの曲を多く歌っている気がしますね。

分かったつもりになってた寂しさ

君のこと沢山知ってるつもりだったな

だけど こんなにも分からなくなるなんて

素敵な時間もありふれた朝も

今日は青空だけどさみしいなんて

僕のこと沢山 話せば話すほど

なぜか こんなにも分からなくなるなんて

くるり『魔法のじゅうたん』

仲の良い友人でも、恋人でも、家族でも。

長く付き合って、沢山知っていたはずの相手のことが分からなくなることがあります。

逆に自分のことを沢山話して教えていたのに、分かってくれてないことだってある。

ふとしたことでそれを知ってしまった時、いつもなら素敵なはずの時間も、気持ちがいいはずの青空も…。

いつもの景色が違ったものに見え、寂しいものに感じてしまう。

分かっているつもりだったのに、知ってくれていると思っていたのに。

それを確かめるために話せば話すほど、余計に分からなくなる。

分かるのは、「寂しい」と思う自分のこの気持ちだけ。

「自分なんて本当はひとりぼっちなんじゃないか」と思えてきます。

変えていくのは『僕ら』

強い向かい風が頬をかすめる

君のにおいを感じればいい

僕らはこんなにも沢山の

夢見がちだった風景を変える

これからのことだろう

目に見えるものすべてが

耳に余るものすべてが

遠くなっても 離れないで

出会ったことが全てだったんだ

くるり『魔法のじゅうたん』

相手が大事な人になるほど『分かったつもりになってた』『分かってもらえたつもりになってた』と知った時の寂しさは大きいかもしれません。

相手はすぐ近くにいるのに、遠くなったような気がしたりもします。

もしかしたら、これまで「こうだ」と思っていた相手の姿は『自分が良いように見ていた夢』で、現実ではないのかもしれない。

そうだとしたら、やっぱり自分はひとりぼっちだったのかな。

でも…。

もしそうだったとしても、それをこれから良い方向に変えていけるのはやっぱり『僕ら』しかいないんだと思います。

遠くなった気がするのは見えないから。

夢が見えなくなったなら、感じればいい。

近くにいて感じることができれば、見えなくてもきっとひとりぼっちなんかじゃない。

だから離れないで。

近くにいたいこの気持ちは、本物だから。

出会ったことは間違いじゃないんだ

相手のことが分からなくなって離れてしまうのは簡単なことです。

たぶんそうした方が楽な場合もあると思うし、分からなくなった理由によっては、むしろ離れた方がいい場合もある。

でも相手のことが分からないのは心が読めない以上当然のことだし、だからこそ特に最初は分かろうと努力していたはずです。

そう考えてみると、本当は分からなくなったんじゃなくて、『ただ自分の思い描いてたものが少しずれていただけ』ってことなのかもしれません。

それならお互いに努力すれば修正できる可能性もあります。

時が過ぎて忘れているかもしれないけど、出会ったからこそ、楽しかったことも嬉しかったこともたくさんあったはずです。

それらの感情は夢でも幻でもなくて、ちゃんと現実にあった自分が思った本当のこと。

それまで否定してしまったら、自分の全てを否定しているのと同じになってしまいます。

何もかも全部が間違いだったと思った時にはもう、寂しいだけでは済まなくなる。

何もなくなります。

それが一番苦しい。

だからもし万が一、お互いのずれを修正できなかったとしても、出会ったことじたいは間違いじゃないと思うんですよね。

寂しいのも苦しいのも、楽しいことや嬉しいことがあったからです。

決して何もなかったわけじゃない。

今現在どれだけ相手が分からなくても、もしかして憎んでいても、自分の全てを否定しないためには出会ったことまで否定しない方がいいのかもしれません。

確かにあった良い記憶に「ありがとう」と言って、今は無理でも、いつかまた笑えればそれでいいんじゃないかなぁ。

うん、だから今なら言えるよ。

出会ってくれてありがとう。

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