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寝ぐせの王様、ミクジンです
この記事は、オレの心に響いたものを勝手に紹介して書きまくるワガママシリーズです。
今回は藤田和日郎さんの漫画『うしおととら』3巻から、タツヤの言葉です。
なら…それは、ただのトランシーバーさ
タツヤは小学生の男の子です。
母親からもらった大切なトランシーバーをいつも持ち歩く彼は、2年前に母親を亡くしてから、ひねくれて友達も作らず、いたずらばかりするようになりました。
主人公のうしおは、そんなタツヤを見て思わず殴ってしまうのですが…それは自分も母親がいなくてひねくれていた頃があったからでした。
その後、タツヤは麻子とともに妖怪の腹の中に捕らわれるのですが、麻子はタツヤのトランシーバーを守ったために気を失います。
そこへうしおが助けに来て言いました。
怯えながら「できないよそんなこと!」と叫ぶタツヤでしたが、うしおは言いました。
「なあタツヤ…オレも母ちゃんいねーのさ」
それを聞いたタツヤは勇気を振り絞って現状に立ち向かい、麻子を助け、妖怪を倒すことに成功します。
そして別れ際にタツヤは言いました。
ただの部屋なんだ
故人の形見は大切なものだと思います。
亡くなったなんてすぐに受け入れられるもんじゃないし、だからこそ本人だと思って形見を大切にしたりします。
オレも結構前に母ちゃんを亡くしましたが、うちの実家ではまだ、母ちゃんの部屋がそのままになっています。
まだ亡くなるには若すぎたと思うし、別れが突然すぎて、受け入れることができていない部分もあります。
父ちゃんが、母ちゃんの遺品を未だに整理できないのも当然だと思う。
職場から病院が近かったので、亡くなる前は毎日のように病室に行ってました。
だから病院のあの部屋には、まだ母ちゃんがいるような気がします。
でもタツヤの言葉を聞いて思いました。
そうだよな、あの部屋に行っても母ちゃんはもういないんだよなぁって。
あの部屋にはもういないけど、心配性だからきっとどっかで見守ってる。
あの部屋は母ちゃんじゃなくて、ただの部屋なんだ。
いつまでもウダウダしてたら、たぶん怒られるよなーと。
本当に大切なのは「想い」
ここまで考えて、ふと不思議なことに気づきました。
病院のあの部屋にはまだ母ちゃんがいる気がするのに、お墓を大切なものだと思ったことがなかった。
母ちゃんの後に他の家族が亡くなっても、それは変わりませんでした。
自分はおかしいのかな、冷たい人間なのかな。
そんなふうにも思うけど、それはきっと、お墓には何もない気がするからだと思います。
確かに遺骨はあるんだけど、それは家族の体の一部に間違いないんだけど…。
火葬されて骨になったのを見た時、それが家族だという実感が湧かなかった。
それに、教えてもらったことや大切な思い出は、お墓には何ひとつありません。
すべては自分の心の中にあるから、お墓はただの場所でしかない気がするんだと思います。
タツヤは大切なトランシーバーを「ただのトランシーバー」と言っていたけど、同じようなことを思ったのかもしれません。
本当に大切なのは「もの」じゃなく、その人が残してくれた「想い」、そしてその人に対する「想い」だと。
まぁ、オレがご先祖様に対してすっげえ失礼なのは確実だし、それはもうごめんて謝るしかないけどさ。
でもこのテキトーな性格、母ちゃん譲りだから結構気に入ってるんだ。
なぁ心配性の母ちゃん、自分もテキトーなくせに、ドキドキしながら見てんだよな。
このブログも読んでんだろ?
オレも母ちゃんに似てテキトーだけど、まぁそんなに心配しないで見ててくれや。
母ちゃんの分まで生きて、すっげえ楽しい人生にすっからさ!