
寝ぐせの王様、ミクジンです
この記事は、オレの心に響いたものを勝手に紹介して書きまくるワガママシリーズです。
最近Amazonプライムに入ったので、Amazon musicでいろいろな懐かしい曲を聴きまくっていたら思わぬ曲に再会しました。
花*花という女性デュオが歌う、
『さよなら大好きな人』という曲です。
2000年に発表されたこの曲は、亡くなったうちのお母が大好きだった曲でした。
聴くたびに、カラオケで歌うたびに泣いていたのを覚えています。
泣いて歌えないくせに、それでも必死で歌っていたお母の姿を思い出すと、なんだかあの時のお母の気持ちが少しだけ分かったような気がしました。
この曲を聴くと、うちのお母とばあちゃんのことを思い出します。
曲に再会できた記念に少しだけ、今はもういない2人の話をここに記録しておきたいと思います。
本当にありがとうね
お母のお母…つまりオレのばあちゃんは、オレが物心つく前から、リウマチの病気で自分で歩くこともできない身体でした。
ご飯やトイレ、着替えからお風呂まで、日常生活のすべてを誰かに頼まなくては何もできないばあちゃんだったけど、オレは優しくて大好きでした。
オロナミンCが大好きだったばあちゃん。
ビンにストローを挿して手に持たせてあげると、ほんとにおいしそうに飲んでたっけ。
そんなばあちゃんをうちのお母はずっと介護してました。
何かしようとするたびに誰かに頼らなくてはならないばあちゃんは、子供のオレから見てもとても気を使っていたように見えました。
きっと「申し訳ない」という気持ちがあったんだと思います。
ばあちゃんをお風呂に入れるために風呂場のイスまで運ぶのはオレと弟の仕事で、身体を洗うのはお母の仕事。
ばあちゃんはいつも申し訳なさそうに、
「本当にありがとうね」
と言っていました。
そんなばあちゃんになぜかイライラして暴言を吐くお母の姿を覚えているけど、当時のオレは「ばあちゃんのことが嫌いなのかな?」と思っていました。
でもその時は分かっていなかった。
お母がやっていた毎日の介護が一体どれだけ大変だったのか、一体どれだけのストレスに耐えていたのかを。
オレや弟を育てるため、そしてばあちゃんが寝てる時間なら大丈夫だろうという理由で、夜中から朝まで市場でバイト。
帰ってきたらばあちゃんの朝ごはんや薬、そしてトイレの世話などをこなす。
そのあと買い物や洗濯や掃除なんかをこなして、合間にやっぱりばあちゃんの世話。
そうしているうちに、なんも分かってないオレや弟が学校から帰ってくる。
ばあちゃんやオレたちがいる限り、休む暇なんかこれっぽっちもなかったはずです。
当時のお母の姿でオレが覚えているのは、機嫌が悪そうなお母、疲れた顔をしたお母、そして少しだけ空いた時間で寝ているお母ばっかりな気がします。
そんなお母の大変さを分かっていたから、ばあちゃんは暴言を吐かれても何も言わず、あんなに申し訳なさそうに、口ぐせのように「本当にありがとうね」と言っていたんじゃないかと思います。
あれは本当に、心からの言葉でした。
ばあちゃん。ありがとう、ゆっくり休んでね
それから月日が経ち、オレも成人して就職し、山形にいた時でした。
ある日の朝方に電話が入りました。
「ばあちゃんが亡くなった」と。
まだ60ちょっとの若さで、なんの前触れもなく亡くなってしまったばあちゃん。
悲しさもあったけど、お母もやっと解放されて少しは休めるんじゃないかな、とも思いました。
だけどばあちゃんが亡くなって、1番悲しんでいたのがお母でした。
今までに見たことがないくらいに泣いて、塞ぎ込んでいた。
いろいろあったけど、あれだけ長い間毎日毎日ばあちゃんの世話ができたのは、本当にばあちゃんが大好きだったからだと思います。
終わりの見えない介護の日々は、そんなお母に暴言を吐かせてしまうほど辛くて、しんどくて、やり場がなくて大変だったんだと思う。
誰が悪いわけでもないのに、本当は大好きなのに、ばあちゃんに辛くあたってしまった自分のことが許せない気持ちもあったのかと思います。
でもばあちゃんは、そんなお母の気持ちを誰よりも、痛いほどに分かってたはずです。
「本当にありがとうね」
そう申し訳なさそうに言う姿を、今でもハッキリと思い出します。
ばあちゃんは心からの感謝と、申し訳ない気持ちをずっと持って最後まで生きました。
オレは寝ているように見えるばあちゃんが、
「やっと休ませてあげられるね、今まで本当にありがとうね。泣かなくてもいいんだからね」
そう言っているような気がしました。
そんな優しいばあちゃんだから、亡くなってみんな悲しんだけど、でも同時に少しだけホッとしたようなところもありました。
みんなもオレも、そしてお母もたぶん、同じことを思っていたんじゃないかと思います。
「もう気を使わなくてもいいんだよばぁちゃん。ありがとう、ゆっくり休んでね」
さよなら大好きな人
ばあちゃんが亡くなってから、お母は介護の世界に入りました。
「小さくても、みんなが笑って暮らせるような施設を作りたい」
そんな夢を語っていたのは、介護の大変さを知っていたことと、ばあちゃんへの想いがあったからだと思います。
だけど…。
夢に向かって突っ走り、もうすぐ叶うというところでお母は病気で亡くなりました。
50代で、ばぁちゃんよりも若い歳で亡くなってしまったお母。
普段はうるさいし、すぐ怒るし、ずっと寝てるし、運転の下手くそなお母だったけど、豪快で、小さいことは気にしなくて、でもすぐに泣いちゃうお母がオレは大好きでした。
絶対泣いちゃうくせにずっと聴いていた曲、
『さよなら大好きな人』
お母が亡くなってしばらくはいろいろ思い出して聴けなかった曲だけど、今やっと聴けるようになった気がします。
お母、あなたの子でよかった。
お疲れ様、ゆっくり休んでね。