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寝ぐせの王様、ミクジンです
世の中には理不尽なことが多くあります。
中でも身近なのは事故や病気で、普段どんなに気を付けていても、突然それはやってきます。
がんばっていようが努力していようが、誰かに尽くしていようが、ガマンしていようが。
理不尽なそれは人を選ぶこともなく、時も場所も関係なくやってくる。
ある意味それは平等で、だからこそ、
「なぜこうなった」
「なぜ自分がこんな目に」
そんなふうにせめて理由を求めたいものだし、簡単に納得できることでもありません。
それが死をもたらすものなら、なおさら普通の精神状態ではいられないと思う。
…うちの母ちゃんもそうだったから。
これから書く話はうちの母ちゃんに起こった出来事であり、オレの人生…というかものの見方を変えた出来事でもあります。
もし気が向いたら読んでみてください。
夢が叶う前に
母ちゃんはオレが幼い頃から、うちのばあちゃん(母ちゃんの母ちゃん)がリウマチだったため、長いこと介護をしていました。
やがてばあちゃんが亡くなると介護関係の仕事を始め、勉強を重ねて、ケアマネージャーの資格まで取りました。
そんな母ちゃんには夢がありました。
それはデイサービスと、有料老人ホームという介護施設を作ること。
この夢を持ったのは、ばあちゃんの介護をしていた経験があったからだと思います。
あの頃の母ちゃんを思い出すと、ばあちゃんを理不尽に怒ったり、かなり辛くあたっていた記憶が多く浮かびます。
家族での介護は辛いものです。
長引けば長引くほど、そして介護する方もされる方も辛い。
する方はいつ終わるのか分からない日々に疲れ、精神的におかしくなってしまうことがあります。
される方も申し訳ない気持ちがあってもどうしようもできず、「自分なんか早く死んだ方がいい」と考えてしまったりもします。
本当はお互いに大切なはずなのに、真逆の感情に支配されてしまう、終わりの見えない地獄のような辛さ。
だからこそプロが間に入り、お互いの負担を減らすことが本当に助けになる。
だから母ちゃんは夢を持ちました。
そんなに大きい施設じゃなくていい、そのかわり誰もひとりぼっちにならないような、家族も含めてみんなが笑顔になれる施設を作りたい。
それが母ちゃんの夢でした。
ばあちゃんの介護をして苦労した母ちゃんは、家族と家族を笑顔で繋ぐプロになりたかったんだと思います。
そんな夢を持っていた母ちゃんは、ついに念願のデイサービスを作りました。
そしてデイサービスが軌道に乗り始めた頃、次の目標である有料老人ホームを作ろうとしていたのですが…。
母ちゃんは突然病気になりました。
病名は『悪性リンパ腫』
血液のがんです。
入院
ある時から、母ちゃんは37度ちょいの微熱とだるさに悩んでましたが、毎日忙しいので「疲れからくる風邪かな?」くらいに思ってたみたいでした。
しかしあまりに長く続くので病院に行ってみたところ、宣告されたのは『悪性リンパ腫』という病気。
悪性リンパ腫は通常、首や脇の下、足の付け根などリンパ節の多いところに痛みのないしこりができることが多いそうですが…。
母ちゃんの場合はその症状はなく、全身のどこまで広がっているのかもよく分からない病状だったそうです。
その頃母ちゃんは、デイサービスの経営と並行して、有料老人ホームを作るために動いている最中でした。
その有料老人ホームの建設がもうすぐ実現する、というタイミングでの発病。
母ちゃんはすぐに入院することになりました。
デイサービスの方はお父も一緒に経営していたので大丈夫でしたが、有料老人ホームは母ちゃんひとりで進めていた計画だったので、自分が動かないとこれ以上進まない状態でした。
お父はヘルパーの資格は取ったものの介護経験があまりなく、母ちゃんの代わりに有料老人ホームを一から作ることはできなかった。
夢の実現までもうすぐのところだったので、母ちゃんはものすごく落ち込みましたが、
「絶対に治して作るんだ」
と自分を奮い立たせていました。
今思えば強がっていただけだと思うけど、そうしないとやってられなかったんだと思います。
母ちゃんは病院で闘病しながら書類の準備などを進め、仕事を継続していました。
夢の実現が、母ちゃんを支えていた。
「なぜわたしなの…」
そんなある日、同じ病院に、同じくがんの治療で入院している親戚がいたことが発覚。
あまり良い偶然とは言えないけど、同じ病気と闘う身近な仲間がいると思うだけで、心が少し軽くなったようでした。
母ちゃんと親戚は病院内でよく話し、
「お互いに絶対良くなろうね」
と言ってました。
しかし…。
数ヶ月後に親戚は亡くなりました。
たぶん、そのあたりから母ちゃんの精神状態がおかしくなっていった気がします。
「なぜわたしなの…」
毎日のように見舞いに行ってたんですが、この頃から、母ちゃんは泣きながらよくそう言ってました。
オレは何も言えなかった。
返す言葉が見つからなかった。
夢が叶う直前での発病と親戚の死。
母ちゃんがどれだけ悔しく、そして怖かったのかオレには想像もつきません。
ただ絶望していたのは分かりました。
これまでは「絶対に治して作るんだ」と自分を奮い立たせていましたが、親戚の死を見たことで、『自分も親戚のように死ぬ可能性がある』ことを実感してしまったんだと思います。
治療はしていたけど、思うように結果が出ない状況もあり、よけいに母ちゃんの気持ちは落ちてしまったようでした。
なんなんだこれは…と思いました。
みんなを笑顔にしたくてがんばっていたのに、こんな仕打ちがあるんだろうか。
このタイミングでいろいろ起こる不幸な出来事に、「なぜ自分なのか」、理由くらい分からなければ理不尽すぎて納得できないのは痛いほど分かります。
その気持ちはオレも同じだったから。
なぜ母ちゃんなんだろう。
それはたぶん誰にも分かりません。
そんなことは分かっているはずなのに、やり場のないこのどうしようもない現状の意味を問いたくて仕方なかった。
きっと、意味なんてものはないのに。
神さま
それからしばらく経った頃、オレは知り合いに宗教の勧誘を受けていました。
どこから聞きつけたのか分かりませんが、母ちゃんが病気だと知った知り合いから、何度か呼び出されて話をされました。
「信じれば奇跡は起こる」
そう言って、実際に奇跡が起こった新聞の記事なんかを大量に渡されたりもしました。
あまり宗教は好きじゃなかったけど、この時にはだいぶ迷いました。
信じて母ちゃんが救われるなら、それ以上に望むものはない。
この時点で病気が判明してから2年…。
治療は続いているけどあまり良くなる様子もないし、もう信じることしかできないんじゃないかと思っていました。
迷いながらも宗教に入る方向で気持ちが傾いていた頃、母ちゃんの容体が変わりました。
母ちゃんからのメール
これまで抗がん剤治療を何度か受けていた母ちゃんでしたが、なかなか良くならず、精神的にも肉体的にもだいぶ弱っている様子でした。
そんなある日、母ちゃんからきたメール。
それが異変の始まりだったように思います。
『検査さするくらいに悪くなりのはだうしてなの』
明らかに文章のおかしいメール。
母ちゃんは打ち間違いが多い人ではあったけど、こんな意味不明なメールをよこしたのは初めてでした。
その日病院に行って聞いてみると、
『検査するたびに悪くなるのはどうしてなの』
と送ったはずだといってましたが…。
なんだか嫌な予感がしたのを覚えてます。
もう少しで母ちゃんの誕生日なのにな…。
とりあえず嫌な予感は心にしまって、誕生日には家族みんなで思っくそお祝いしてあげよう。
病室になっちゃうけど、ケーキも食べれるか分からないけど準備して行こう。
うちのケーキの食べ方は個別に皿にわけるんじゃなくて、ひとつのケーキをみんなでフォークを持ってつっつくというワイルドなスタイル。
子供の頃、誕生日やクリスマスには母ちゃんの手作りケーキが楽しみで仕方なかったっけな。
思い出したらなんだか泣いてしまいそうになったけど、母ちゃんががんばってるのにオレが泣いてちゃダメだ、と思ってガマンしました。
…それからたったの数日でした。
母ちゃんは目を開けて起きてましたが、その日突然、まったく会話ができなくなりました。
会話はもちろん、呼びかけても、肩を叩いても、頭をなでてもわずかな反応しかない。
もう母ちゃんと、意思の疎通をはかることはできなかった。
「なぜわたしなの…」
母ちゃんはずっと聞いていたのに、答えてあげることも、気持ちを軽くしてあげることもできなかった自分と、あまりにも理不尽な『何か』に腹が立ちました。
うちの母ちゃんは、誕生日すらまともに迎えられないのか?
一体何をしたってんだよ。
人を笑顔にしたいと願っただけじゃねえか。
何がいけねえんだよ。
もう笑うことも、泣くことすらもできないなんて、あんまりじゃねえか。
ただ、腹が立った。
それから間もなく、医師から「もう長くはないかもしれない」と宣告を受けました。
最後の誕生日
母ちゃんと意思の疎通がとれなくなって少したったある日、誕生日がやってきました。
相変わらず母ちゃんは目を開けて起きているものの、何を言っても何をしても反応がありませんでした。
この日は病室に家族みんなで集まり、ケーキを用意したり、謎のメガネや帽子で着飾って母ちゃんを取り囲みました。
誕生日のことを看護師さんに相談した時、
「病室でかまいません、こんな時だからこそしっかり祝ってあげてください。ちゃんと聞こえてるはずですよ」
と言ってくれた時は本当に嬉しかった。
今日は思いっきり祝ってあげよう。
知らない人たちから見たらおかしな光景だっただろうけど、みんなで歌を歌い、うちらしくみんなでケーキをつっついて食べました。
ケーキをボーッと見つめる母ちゃんが食べれないのは分かってたけど、キレイにしたフォークで、ケーキを口元にちょんちょんとあててみたりもしました。
反応はなかったけど、たぶん、反応したくてもできないだけで、意識はあるに違いないと思いながらその後も祝いました。
みんな…たまにカーテンの陰に行って泣いてしまう場面もあったけど、それでも思いきり祝えたんじゃないかなと思います。
看護師さんありがとう。
母ちゃん、喜んでくれてたらいいなぁ。
「祈らなかったからだ」
誕生日から数日後。
…母ちゃんは亡くなりました。
思い残すことが、とてもたくさんあっただろうと思います。
結局母ちゃんは、夢を奪われたまま、毎日泣いたまま亡くなっていきました。
最後には泣くことすら奪われて。
絶望ってものがあるとしたら、親戚が亡くなってからの母ちゃんの毎日は、まさに絶望の日々だったような気がします。
オレは結局、宗教に入る前に母ちゃんが亡くなりましたが、オレを勧誘していた知り合いは、亡くなったことを聞いて言いました。
「祈らなかったからだ」
それを聞いてとてつもない怒りが湧きましたが、同時にどうしようもなく呆れました。
祈らないと助からないのか。
見返りを求める神さま、それならそもそもなぜ母ちゃんは病気になったんですか?
理由は?
それすらも、あなたを信じないと教えてくれないっていうんですか?
なんだ、「何ひとつ教えてくれない」ってことしか分からねえじゃねえか。
絶望なんかしてやらねえ
世の中には理不尽なことが多くあります。
がんばっていようが努力していようが、誰かに尽くしていようが、ガマンしていようが。
理不尽なそれは人を選ぶこともなく、時も場所も関係なくやってくる。
ある意味それは平等で、だからこそ、
「なぜこうなった」
「なぜ自分がこんな目に」
そんなふうにせめて理由を求めたいものだし、簡単に納得できることでもありません。
そしてせめて理由を求めたいからこそ、神などという存在が必要なのかもしれません。
でも母ちゃんの出来事があって思いました。
理由なんかないんだと。
ほんとは思いたくないけど、言ってしまえば『運』が悪かっただけ。
そもそも理由があったとして、どんな理由だろうと許せる気にもなりません。
いつ運の悪い日が来るかなんて分からない。
だから今を精一杯生きて、できればもし明日死んでも「仕方ねーなあ」って言えるくらいの毎日を送ることしか、解決方法がないような気がします。
母ちゃんの出来事がなかったら、たぶん『突然不幸になる』なんてことは予想もしなかったし、なんなら他人ごとだと思ってました。
でも今は違う。
それが分かっているだけで、毎日の生活が変わった気がします。
覚悟ができたというか、他人ごとではなくなったというか…。
うまく言えないけど、そのおかげでこのすぐ後に起こる『大切な人の裏切り』にも耐えられたのかもしれません。
理不尽なことは誰にでも起こります。
だから亡くなった母ちゃんの分まで、思いっきり笑って泣いて怒って、まったくこれっぽっちもガマンせずに、思いが残らないように生きていきたいなと思います。
だってさ、何が起ころうが、どうせ理由なんぞひとつもねえんだろ?
だったら自分のやりたいように、生きたいように全力で生きてやるよ。
ぜってえ絶望なんかしてやらねえ。