「運」について思うこと。自分が悪いんじゃない、悪いのは「運」とかいうクソシステムだ

この記事には広告を含む場合があります。記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。

ミクジン
ミクジン

寝ぐせの王様、ミクジンです

オレはかつて、ガッツリ落ち込んでた時期があったんですが、その時にずっと思っていたことがありました。

なんでオレはこんなクソみたいに運が悪いんだろう?

良い方向にいきたいと願ってたのに、そのためにできることを全力でやっていたはずなのに。

予想外すぎる出来事ってのはわりと簡単に起こるもので、そのせいである日突然、すべてを失いました。

こんなクソみたいに運の悪い自分が嫌で、当時は「運が良くなる方法」がないかといろいろ検索したんだけど…。

今は思うんです。

「運」とは、今の人間にはコントロール不能な理不尽なものだと。

スポンサーリンク

「運」とは今の人間にはコントロール不能な理不尽なもの

ネット上には、

運が良い人、悪い人の特徴

運が上向く行動

などなど、結構いろんな情報がゴロゴロと転がっています。

中にはある程度、運をコントロールできるっぽく書いてるものもありますが、個人的にこれはちょっと違うような気がしています。

そもそも運はコントロールできるもんではなく、実際にできることは、成功する確率(良い方向へいく確率)をなるべく上げることくらいです。

「運が上向く行動」などは、この「確率を上げる」ってところを言ってるんだと思います。

でも確率を上げたとしても、100%じゃない限り、結果がどうなるか完璧に分かる人間など誰もいません。

99%の確率で成功だとして、1%の失敗を引かない保証なんてどこにもない

だから運が悪い人は、どうがんばったところで、1%のダメな方を引いて失敗します。

逆に運が良い人は、鼻くそほじってアクビしてても、成功確率が1%でも成功します。

これが「運」です。

確率が上がったところで、「運」自体を良くする方法はなく、良い方を引けるかどうかはそれこそ運でしかない。

そこには準備も、努力も、日頃の行いも、何もかも意味がない。

これはたぶん、この世のすべての仕組みが分かり、未来を完璧に100%予測でき、それに対処できる方法を持ってない限り、仕方のないことだと思います。

「それを言っちゃおしまいだろ」

って感じがするけど、世の中ってのはそんなもんなんです。

たった1%のダメな方を引く人間が、この世にはなんぼでもいる。

そんな世の中なもんだから、どうにもならないことは山ほどあります。

予想外の病気、事故、事件、災害など、この世はわりと理不尽なもので溢れかえっている。

うちの母親も夢半ばで突然病気になり、見てるのもしんどいほど絶望して亡くなりましたが、健康には人一倍気を使っていた人でした。

そんな人がまだ50代で真っ先に死ぬなんて、「運が悪い」としか言いようがありません。

関連記事

だから思うんです。

「運」とは、今の人間にはコントロール不能な理不尽なものだと。

なんだかどうしようもない絶望的な結論だけど、この事実を受け入れなければ、生きていくのがよりしんどくなる気がします。

実際、過去にオレがあれだけ落ちたのは、受け入れることができなかったからだと思うんです。

スポンサーリンク

「運」という理不尽を受け入れること

確かに、日頃からがんばっていれば良い方向へいく確率が上がると思うし、確率を上げるのは必要で、とても大事なことだと思います。

ただ、本気でがんばればがんばるほど(確率を上げるほど)、ダメだった時(良い方を引けなかった時)の絶望も高くなってしまいます。

そりゃあんだけ時間も身体も心も使って確率を上げたんだもの、それを引けなきゃ落ち込むに決まってます。

でもここで「運」が何かを知っていると、それ以上落ち込む必要はなくなります。

今回は「運」が悪かったけど、やるだけやったんだもの、仕方ねーな。

ってな感じで、決して納得できるわけじゃないけど、少なくとも「仕方ない」と思うことができます。

なぜなら「運」ってのは、今の人間にはコントロール不能な理不尽なものだって分かってるからです。

だけど「運」が何か知らないと、さらに奈落の底に落ちるような考え方になったりします。

なんでオレはこんなクソみたいに運が悪いんだろう?

あんだけやってもダメな方を引けるなんて、ほんとダメ人間だ。

悪いのは「運」なのに、ダメな方を引いた「自分が悪い」と、なぜか自分を責めだしたら奈落まっしぐらです。

そのうち、

「どうせオレなんて何やってもきっとうまくいかない」

「生きてる価値もない」

「消えた方がいい」

とか思い、自分のすべてを全力で否定してしまうようになります。

オレは過去にこんな状態になり、ダメな方しか引けない自分を恨んで恨んで、頭がおかしくなりました。

確かに、あとから考えて「こうすればよかった」と後悔することは山ほどあります。

でもそれは結果を知ってるからこそ言えることで、結果が出る前には分かるはずがなかったこと。

どうしようもないんです。

それによく考えてみると、結果が出る前はただ「良い方向にいきたい」とがんばっていただけです。

それ自体は何も悪くないし、間違ったことじゃありません。

謎に自分を責める必要などないんです。

本当に必要だったのは、次にもっと確率を上げるための「反省」なだけ。

そして、悪かったのは自分ではなく「運」だっただけなんです。

大事なので強めの言葉でもう一度言います。

自分が悪いんじゃない。

悪いのは「運」とかいう理不尽極まりないクソシステムです。

作ったやつ◯すぞ。

だから意味不明に自分を責めて、奈落の底に落ちないためにも、

「運」とは、今の人間にはコントロール不能な理不尽なもの。

ということを知り、受け入れた方が生きやすくなると思います。

スポンサーリンク

クソシステムを利用してやる

理不尽な世の中に生まれたせいで、悩んだり落ちたりとしんどいこともありますが…。

最近は、「運」とかいうクソシステムを逆に利用してやろうと思っています。

どうせどうなるか分からん「運」の絡む未来だもの、やるだけやって失敗したら全部「運」のせいにしてやります。

ぜってえ自分のせいにしねえ。

てめえが理不尽で、気まぐれすぎるのが全部悪いんじゃ。

失敗して頭にきた時は、枕をあいつだと思ってグーで◯す気で殴ります。

どうせ「運」なんてどうにもならねーんだし、やりたいようにやるだけじゃ。

文句あんなら出てこいや

ふはははははははははは

ミクジン
ミクジン

怖いねこの人…

ペンギン
ペンギン

君だよ

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

※コメントは日本語で入力してください(スパム対策です)