【漫画の名言】真由子「泥なんて…何だい、よ!」『うしおととら』19巻

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ミクジン
ミクジン

寝ぐせの王様、ミクジンです

この記事は、オレの心に響いたものを勝手に紹介して書きまくるワガママシリーズです。

今回は『うしおととら』19巻から、真由子が妖怪に襲われながら言った言葉です。

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泥なんて…何だい、よ!

この巻で真由子(まゆこ)は妖怪に質問をされます。

出典:藤田和日郎『うしおととら』19巻

「答えられなければ脳みそを喰う」と言う妖怪に、真由子は執拗に追いかけられます。

真由子を助けようとするとらでしたが、彼女を人質に取られたため苦戦。

とらが傷付く中、いつも助けてくれるとらを今度は自分が助けるため、真由子は自ら死を選びます。

出典:藤田和日郎『うしおととら』19巻

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死とは絶望や恐怖

満足する死とは?

難しい質問ですよねこれ…。

正直自分が死ぬって分かった時は、たぶん絶望恐怖しかないと思います。

病気でも事故でも、死にたくて死ぬわけじゃない。

自分がこれまでやってきたことが、これからやりたかったことが、突然の死という出来事ひとつで全部泡のように消えてしまうのは、絶望でしかないと思います。

『もう終わり』だと受け入れるのは難しい。

自殺の場合もそう。

この世にいるよりはなんぼかマシだと思うから自殺するわけで、満足して死ぬわけじゃありません。

絶望したから死を選ぶ。

オレも自殺を考えたことがありますが、やはりそれは絶望してしまったからです。

でも実際に死を身近に感じた時は、ただただ怖かった。

自分で死を選ぶのは、いくら絶望していても簡単にはできないことを知りました。

それだけ死ぬのは恐ろしい。

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満足する死とは?

じゃあ満足しそうな死に方ってなんだろう?

そう考えた時に思うのは単純に、

自分が死ぬことよりも大切なことをできた時

なんじゃないかなと思います。

例えばおじいちゃんやおばあちゃんなら、子供や孫がちゃんと幸せな家庭を作っているのを見届けた時とか。

車に轢かれそうになった自分の子供を、自分の身体を盾にして守った時とか。

自分が黙って死刑になることで救われる、大切な仲間がいる時とか。

独り身でも、自分がこれまで生きてきて、やりたかったことをすべてやりきったと思えた時は満足できるのかもしれません。

満足する死。

実際には好んで死にたいわけじゃないし、死ぬために行動しているわけでもない。

でもそれを忘れてしまうくらい大切なものがあって、ちゃんとやりきったと思えた時には、たとえ自分が死ぬって分かっても満足できるんじゃないのかなと思います。

ああ、ちくしょう自分は死ぬのか…でもやってよかったなぁ。

そんなふうに思えたなら、満足できる死と言えるのかもしれません。

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泥なんて何だい!

出典:藤田和日郎『うしおととら』19巻

「泥なんて…何だい、よ!」

この真由子のセリフは、子供の頃に(うしお)に言われた言葉からきています。

真由子は子供の頃のある日、お気に入りの帽子をかぶって近所の通称『ヘビ沼』の近くを通りました。

ところがそこで帽子が風に吹かれて飛ばされ、沼に生えている背の高い草の上に乗ってしまいます。

出典:藤田和日郎『うしおととら』19巻

そこにが現れ、無言でズブズブ沼の中に入って、体中泥まみれになりながら帽子を取ってきてくれたのでした。 

出典:藤田和日郎『うしおととら』19巻

潮はこの時、父親が結婚式用におろした服を着ていたので、この直後こっぴどく叱られるのですが…。

きっと潮にとっては、大事な服が泥まみれになるよりも、真由子の帽子を取ってあげることの方が大切だったんだと思います。

だから真由子は、妖怪の「満足する死とは何だ?」に対してその時の言葉を言ったんじゃないでしょうか。

そりゃ人間やってりゃ時には間違いや失敗もするし、どうしようもない不幸な出来事も必ず起こります。

それで後悔したり、落ち込んだり、「最悪の人生」だなんて本気で思うこともあるかもしれない。

だけど最後の最後に満足できていたら、それは「良い人生」に変わるのかもしれません。

どうせ生まれてきちまったんだから、最後にはそう思えるように、自分の大切なものを全力で、大切にして生きていきたいなぁ。

そんなことを思いました。

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