「自分には生きる価値がない」なんて考えなくていい。生まれてきちまったんだから、笑って生きてやるだけだ

ミクジン
ミクジン

寝ぐせの王様、ミクジンです

「自分には生きる価値がない」

「自分が生きていても何の意味もない」

生活していく中でふとした瞬間にそんな気持ちに襲われ、心にぽっかり穴が空いたように、人生が虚しく感じる…そんな人は少なくないように思います。

ひどくなると常にそんな気持ちが付きまとうようになり、やがては「消えてしまいたい」などと考えるようになったりもします。

オレにも昔そんな時期があって、本気で自分を消したくて、人生をリセットしたくて仕方なかった。

だけど今は「自分には生きる価値がない」と思いながらも、「消えたい」とは思わなくなりました。

代わりにこう思います。

生まれてきちまったんだから、笑って生きてやるだけだ。

自分には価値がない」と思ったきっかけ

オレは昔失恋のショックから自暴自棄になり、ギャンブルにハマって借金を作ったことがありました。

そしてさんざんやっちまったあとに突然我に返り、自分のことをこんなふうに思いました。

「オレには生きる価値なんかない」

親に何も言わず新卒で勤めた会社を辞め、勝手に婿に入ろうとした自分。

それなのに彼女(別れた元カノ)を幸せにすることができなかった自分。

自暴自棄になって借金まみれの自分。

こんなバカ野郎は生きる価値なんかないと、心の底から思いました。

そこからはもう「消えたい」ということばかりが頭の中をぐるぐる周り、実際に消えるための手段を実行したこともありました。

「オレには生きる価値なんかない」

「消えたい」

当時は落ちに落ちたオレですが、今思えばあんなふうになったのは、自分にとってショックなことや運の悪さが重なったのが原因だったのかなと思います。

立て続けにダメなことが起こったせいで、

「自分は何をやってもうまくいかない。悪い結果しか生まない」

「今後もきっとそうだろうから、何もせずに消えた方がいいんだ」

という気持ちに支配され、毎日が苦しく、生きているだけで申し訳ないような気持ちでした。

結果だけ見れば確かに最悪。

でもたぶん、あの時のオレは結果だけしか見えてなかったんだと思います。

少しだけ自分を許してあげることができた瞬間

今だから言えるけど、失恋してショックだったのはそれだけ本気でがんばっていたからだし、気持ちのやり場がなくて自暴自棄になったのも仕方ないことです。

本気でがんばっていたこと自体に罪はないし、自暴自棄になったのだって、ある意味「何もなくなった自分」を守るための行動。

あの時は何かに身を委ねなければ、失った苦しさに耐えられそうもなかったから。

結果的に選択は間違えてしまったのかもしれないけど、恋愛中も失恋後も、「良い方向にいきたくてがんばっていた」のは事実だし、それはきっと間違いなんかじゃない。

だって最初から「オレには生きる価値なんかない」と思うような結果になりたくて、行動していたわけじゃないから。

ある時突然そんなふうに思えて、その時がたぶん、少しだけ自分を許してあげることができた瞬間だった気がします。

ずっと自分を責め続けていたら、今ここに自分はいなかったかもしれません。

結果はどうあれ「がんばれた自分」には価値がある

よく考えたら、今の自分の行動が未来にどう繋がるかなんて、誰にも分かるはずがないんです。

少しは予想できるかもしれないけど、晴天で雨が降ることもあれば、今にも降り出しそうなのにまったく降らないこともあるし、ちゃんと傘を持っていたのに風で役に立たないことだってあります。

どうなるか分からないことに必死で備えて、考えて考えてがんばった末に選択を間違えたとしても、それはもう仕方ないと思うしかない。

そこで「正解できない自分は価値がない」なんて考えてみても、仕方のないことだったんです。

確かに正解できなかったのは残念だし、失ったものはもう戻りません。

でもあの時「がんばれた自分」にはきっと、いや絶対に価値があります。

なぜなら、今こうして笑顔で楽しく過ごせているのは、あの出来事があった「おかげ」で今現在の道に進んできたからです。

確かに当時の自分は『彼女と幸せに暮らす道』へ進むことだけが目標だったし、その道以外に進んでしまったことは失敗だと思っていました。

でも、

違う道を進んでいなければ、今現在の楽しい暮らしはあり得なかったのも事実です。

そりゃ今だって「彼女とうまくいってたらどうなってたんだろうなぁ」と考えることはあるけど、その後どうなっていたのかなんて誰にも分からない。

同じように「失敗した」と思った方の道だって、進み始めた時点ではどうなるかなんて誰にも分からないんです。

分かるのは「確かにあの時は失敗したけど、今こうして笑顔で暮らせている」という事実だけです。

失敗もした、間違いもした、後悔もした。

だけど「今笑顔で暮らせているこの道」に来れたのは、あの出来事があったからだし、それをなんとか耐えて、乗り越えることができたから。

だからあの時「がんばれた自分」には絶対に価値があります。

今ここにいて笑っていられるのは、自分の過去のすべての「おかげ」なんだから。

そしてそれを分かってあげられるのは他でもない、自分自身だけなんです。

「生きる価値」なんて本当は誰にもねえ

オレはかつて「自分には生きる価値がない」と思っていましたが、それは今も同じです。

…さっき「がんばれた自分」には価値があるって言ってたじゃねえかよ!

というツッコミが聞こえそうだけど、ちょっとだけ聞いてください…。

オレが今現在「自分には生きる価値がない」と思うのは、オレだけじゃなく、「生きる価値なんて本当は誰にもねえ」と思うからです。

例えばまったく知らない他人の「生きる価値」なんて、気にも止めないはずです。

あんまり悪い言葉は使いたくないけど、正直に言っちゃうと…。

興味すらねえ。

興味すらないんだから、他人の「生きる価値」なんぞ評価するどころか考えもしない。

身近な大切な人たちにしても、「生きる価値」という見方で評価することなんかないと思います。

「ただ生きていてくれればそれでいい」と思うから、評価だの価値だのは考えもしないと思う。

もし「生きる価値」で誰かを評価しているとすれば、どうしようもなく嫌いな人に対してとか、評価している本人がサイコな方とか…。

もしくは自分自身を、自分で勝手に評価して思っているだけです。

なんにしろ「生きる価値」なんてものは、興味がないか、そんな見方自体しないか、一部の特殊な場合にちょっと考えるくらいのもの。

ということは、生きとし生けるすべての人にとって「生きる価値がある人間」なんてどこにも存在しないということになります。

誰しもが認める「生きる価値がある人」はいない、ということは「生きる価値なんて本当は誰にもねえ」ということ。

だからもちろん、オレにも「生きる価値」なんて存在しません。

だけど、価値がないからといって「生きてて悪い」ということもないと思うんです。

別に価値なんかなくたって生きていけるし、今思えば楽しい時には「自分の価値」なんて考えもしなかった。

「楽しい」「幸せ」そんなふうに思えていたら、きっと価値なんてどうでもいいんです。

だから本当は、「生きる価値」なんかなくてもいいんだと思います。

「生きる価値」なんかなくてもいい

「自分には生きる価値がない」

もしかしたらこれは、生きている実感がないから、生きている意味が分からないから、何もかもうまくいかないからそう思っているだけなのかもしれません。

でも本当は思っているはずです。

「生きて笑っていたい」と。

本当は消えたくないけど、生きて笑っていたいけど、でもどうしたらいいのか分からない自分を「生きる価値がない」と責めているだけです。

でも価値なんかなくていいんです。

ただ生きてていいんです。

だってそもそも「生きる価値」なんて誰にもないし、ただ生きていれば、そのうち楽しいものに出会って「生きる価値」なんてもんはこれっぽっちも考えなくなるから。

帰り道の土手から見える月にワクワクしたり、コンビニの新作のパンを食べてちょっと幸せな気持ちになったり…。

気が付けば何気ないことがすべて「生きてて楽しい」に変わっていたりもします。

欲しいのはきっと価値なんかじゃなく、そんなふうに笑顔で過ごせる日常なんだと思います。

だから「生きる価値」なんてなくていい。

何者にもなれなくていい。

失敗して、間違って、後悔して、そのせいで「自分なんかダメ人間だ」と思ってしまっても。

ただ生きて、「生きて笑っていたい」と思う本当の自分を少しだけ許してあげてもいいんだ。

未来の自分はそれらの「おかげ」で違う道に進み、笑っている可能性だってあるんだから。

オレなんかもはや「生きる価値なんかねえし、いらんわ」と開き直り、ろくでもねえ本当の自分を許しまくって毎日ゲラゲラ笑って過ごしてます。

なんのことはねえ、オレはただ生きて、笑っていたかっただけなんだ。

ああそうさ!

生きる価値なんざあろうがなかろうが、生まれてきちまったんだから笑って生きたいに決まってんだろうが!

だったら死ぬほど楽しんでやるぜ!

ふははははははは!!

ミクジン
ミクジン

あれ?もしかしてオレってサイコ…

ペンギン
ペンギン

気付くのおせえ

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