「幸せ」とは「自分が嫌だと思うこと(ストレス)から解放されること」だ

ミクジン
ミクジン

寝ぐせの王様、ミクジンです

これを書いてる時点で、ブログを始めてから5年が経とうとしています。

今はとても幸せに暮らしてますが、ブログを始めたキッカケは、

精神的にどん底まで落ちてしまい、溜まっているものをどこかに吐き出したい

という思いからでした。

【関連記事】どん底になったきっかけ

一時期は本気で生きることをやめようとしていた自分ですが、どうして今は「幸せ」なのか。

「幸せ」ってなんなのか。

5年経った今思うことや、現在幸せに至った経緯なんかを書きなぐりたいと思います。

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一番大切なのは「自分の心の状態が良いこと」だ

結構前に「幸せ」について考えたことがありましたが、その時オレは、

「幸せ」とは、自分を含めた大切な人を守れる状況にあること

と思っていたし、これは今考えてもその通りだと思います。

だけどもっと深く考えていくと、本当に一番大切だったのは、

「自分の心の状態が良いこと」

だったんだと気付きました。

例えば誰か大切な人がいる場合、その人が幸せになることが自分の幸せにもなると思うし、だからこそ守れるという状況が幸せに繋がるんだと思います。

守りたいと思っているからこそ、自分が貧乏くじを引いてもガマンできるし、それで大切な人が笑えれば構わないとも思う。

だけど実は、自分以外を優先しているかに見えるこの感情の根底には常に「自分」があります。

大切な人が幸せになれば「自分」も幸せだ、大切な人が不幸になるなんて「自分」は嫌だ、だから守りたい。

例え貧乏くじを引いたとしても、それよりも大切な人が不幸になる方が「自分」は嫌だから、貧乏くじだって進んで引ける。

なんだかいやらしい言い方かもしれないけど、幸せの根底には、無意識のうちにきっと「自分」がいるんです。

だって大切だと思うのも、守りたいと思うのも、嫌だと思うのも、幸せだと感じるのも全ては自分自身の心の中で感じることです。

言ってしまえば幸せも不幸も、全ては自分の心しだいってことになります。

自分が不幸だと思えばそれは不幸になり、幸せだと思えばそれは幸せになる。

だから自分を含めた大切な人を守るためには、そもそも「自分の心の状態」が良くないといけない。

ストレスMAXでいたら誰かを守る余裕なんてないし、ひどくなると自分自身すら守れなくなります。

だから一番大切なのは「自分の心の状態が良いこと」だと思うんです。

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「幸せ」=「自分が嫌だと思うこと(ストレス)から解放されること」

幸せだと思ったのはどんな時?

そう聞かれたら、ディズニーランドに行ったとか、誕生日パーティを開いてもらったとか、特別なイベントなんかが思い浮かぶかもしれません。

だけど、幸せってのは実はそんな特別なものじゃないと思います。

確かに特別なイベントなんかは心に残るけど、本当はそこに至る『普通の日常』があってこその幸せだと思うんです。

仕事や学校や家庭なんかに悩みを抱えて「自分の心の状態」が良くなければ、特別なイベントでも心から「幸せだ」とは思えないような気がします。

オレもどん底の頃に、家族と会ってささやかなクリスマスのお祝いをして、プレゼントをもらって元気づけられたことがあるけど…。

生きることをやめたいと思っていた当時のオレは、その時ただただ申し訳ない気持ちで心が張り裂けそうでした。

心配させてごめん。

こんなにしてもらってるのに、なんだか辛くて仕方なくてごめん。

切り替えたいのに、喜んで笑いたいのに、どうしようもなくてごめん。

これを思い出すと、当時の感情を思い出してちょっと胸のあたりが今でもいてえです。

この時オレに『普通の日常』さえあれば、きっと現在みたいに小躍りして謎の音楽を口ずさんでバカみたいに喜んでたはずです。

じゃあ『普通の日常』ってなんなのか?

それはたぶん、

あんまりストレスを感じないで済む、心の状態の良いありきたりな毎日

のことだと思います。

その土台がなければ、本当なら嬉しい出来事も、幸せだと思えるようなイベントでさえ、オレみたいに胸のあたりが痛む思い出になったりします。

だから今は思うんです。

「幸せ」とは自分を含めた大切な人を守るため、心の状態を良くして土台を作ること。

つまり、

「自分が嫌だと思うこと(ストレス)から解放されること」

じゃないかと。

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どん底にいた時、自分を落とすものを徹底的に排除した

よくよく考えればオレがどん底に落ちたのも、そこからさらに奈落の底まで精神が落ちたのも、全ては嫌だと思うもの(ストレス)があったからです。

そのいらないもの(ストレス)をポイ捨てすれば幸せになる。

答えは本当にシンプルです。

とはいえ自分で自分の心を切り替えるのは難しいし、どん底になるキッカケとなる出来事(彼女の浮気)はもう起こってしまったことなのでどうしようもない。

落ち込んでいた当時のオレは思いました。

そんならもう、これ以上落とされるようなものは徹底的に排除してやんよ。

オレは手始めに、

「事情は分からないけど落ち込んでないで早く立ち直りなさい、みっともない」

と言ってきた親戚と縁を切りました。

これはとある法事の後の会食で言われた言葉ですが、事情を何も話していないのにそう言われるってことは、外から見ても相当落ちてたんでしょうね当時のオレは。

先程の言葉を言ってきた後にその親戚は、自分も落ちた経験があったけど速攻立ち直った話を、聞いてもないのにアドバイス的な感じで長々と語り出しました。

それを聞いたオレは思いました。

こいつめんどくせえ。

はい、感じたのはただのストレスです。

法事でしか会わない親戚の、謎のお叱りと的外れなアドバイスなんて『この世で一番ストレスでしかないものの代表』ですからね。

完全に縁を切りました。

書き出すととめどないのでやめますが、その他にもいい子ぶってガマンしていたどうでもいい付き合いは根こそぎ切りました。

次に仕事を変え、正社員をやめて気楽な非正規になりました。

今のところ結婚する気なんぞないし、用意してても前の彼女みたいに浮気されて別れたら意味ないし、どうなるか分かるわけのない将来のために仕事をがんばるなんて、もはやストレスでしかなかったので。

なので残業も一切してません。

なぜなら、お金なら足りてるのでする必要がないからです。

考えてみりゃ「仕事に行ってるのは生活するため」なので、お金が足りているならそれ以上働く必要なんかどこにもないんですよね。

前は会社や同僚に気を使って残業してましたが、気を使うとストレスになるので一切お断りということにしました。

「それがダメなら他に行きます」

そう会社にも言ってあります。

非正規で時給が最低賃金クラス、人手が全然足りてない業界を選んでるので、代わりの会社は腐るほどあります。

代わりがあると思えばやりたい放題なので、めんどくさい飲み会も行かないし、めんどくさい先輩と仲良くしようともしてません。

嫌なら辞めりゃいいや

ってな感じです。

徹底的に排除した結果、考え方が変わった

他にもいろいろと排除しましたが、これだけ徹底的にやってみた結果、それまでの考え方から少しずつ変わっていく自分を感じました。

それまで必要だと思っていたことが、実は不要だったことに気付いた

と言う方が正しいかもしれません。

例えば人間関係。

それまでは特に理由もなく嫌いな人にまで『いい顔』をして、なるべく無難な関係を築こうとしていました。

でもそんなことをして得られるのは、

『どうでもいい無難な関係』と「ぶっちゃけめんどくせえ」というマイナスの気持ちだけ

だと気付きました。

プラスになるものが何かあるならともかく、マイナスしかないなら不要です。

そんなら嫌いな人ごと完全に切った方が自分にとってよっぽどプラスになる

という考え方に変わりました。

そして仕事について。

それまでは、

「大人なら仕事をしていなければ恥ずかしい。それなりの歳になったらそれなりの地位にいて、それなりの収入がなければいけない」

という考え方をしていました。

なんか世間体みたいなものを気にしていたんだと思います。

でも今は違います。

「仕事なんて飯を食うためのただの手段。自分が生活していく分稼げば問題ない」

という考え方に変わりました。

その仕事が大好きで誇りを持ってやっているなら別ですが、たぶんほとんどの人は「生活するため」に仕事しているんだと思います。

それをいつの間にか忘れ、仕事に殺されそうになっている人をたくさん見たし、オレもかつてはそうでした。

「ただの飯を食うための手段」で苦しんだり、挙げ句の果てに死ぬこともある…っていうのは今考えると意味が分かりません。

だから本当は、正社員だろうが非正規だろうが、自分が必要な分稼げれば問題ないはずなんです。

「正社員なら安定する」とかつては思っていたし、確かにどちらかといえば安定だとは思いますが、今はその安定もどんどんグラついている時代です。

どんなにがんばっても、耐えても、会社に途中で切られることはいつでも誰にでもあり得る。

それならいっそ、

いつ切られてもいいような心でいること

の方が重要な気がします。

正社員で働きたいとか、一生働きたいと思える会社は限られるかもしれないけど、仕事の数だけ見れば腐るほどある世の中です。

スーパー金持ちになって次から次へと欲しいものを手に入れたい…とか思わなければ生活するのは簡単です。

少なくとも、

そう考えた方が余計なストレスはなくなる

ということに気付いたんですよね。

「幸せ」の正体

そんなこんなで少しずつ考え方も変わったわけですが、いつの間にかオレは幸せだと思える日々を過ごせるようになっていました。

思えばどん底だった時、オレの周りには嫌なことだらけでした。

彼女の浮気が一番デカかったけど、追い討ちをかけるような他人の言葉や人間関係、一睡もできなくて苦しい時にもなぜか行かなきゃいけない仕事。

嫌なものに囲まれて「嫌だ嫌だ」と思っていたら、そりゃ幸せだなんて思うはずもないし、「ここから消えたい」ってなるのも仕方ないと思います。

だからあらためて言います。

幸せなんて、何か特別なものを掴むことでも、特別なイベントが起きることでもない。

幸せとは、

「自分が嫌だと思うこと(ストレス)から解放されること」

嫌だと思うことから解放されれば、人は嬉しい時に、嬉しいものを心から、全力で嬉しいと喜ぶことができます。

それが「幸せ」の正体です。

オレは「彼女の浮気」というどうしようもない嫌なことがありましたが、そういう過去の出来事のマイナス感情は、本来は時間とともに少しずつだけど小さくなっていくはずです。

だけどその他の嫌なことも同時に重なっていくと、マイナスの全体量はかけ算のように膨れ上がります。

心ってのはたぶん最大容量が決まってるので、マイナスが極端に多いと、少しだけあったプラスがどんどんこぼれて消えていきます。

これがきっと落ち込んでいる状態です。

だったら、どうしようもないこと以外のマイナスは徹底的に排除すればいいんです。

捨てられるマイナスは、容赦なくどんどんポイ捨てすればいい。

そうすれば自然に心の中でプラスの全体量が大きくなり、ちょっとだけマイナスがあったとしても屁でもなくなります。

だから今、オレは幸せなんです。

「幸せ」は最強の力だ

「ちょっとマイナスがあったとしても」と言いましたが、今はそのどん底のキッカケとなった「彼女の浮気」にすら感謝しています。

だってあの出来事がなければ、予想もできない別の未来を生きていたわけで、今現在の幸せな生活は絶対にあり得ないわけです。

そう考えると「彼女の浮気」はどん底のキッカケでもありますが、同時に、

嫌なものを排除でき、考え方を変えることができ、今の幸せな毎日を手に入れることができたキッカケ

でもあるんです。

自分でも不思議だけど、いつの間にかそう考えるようになってて、感謝の気持ちに変わってたんですよね。

どうしようもなかった嫌なことですらプラスの要素になるなんて、

「幸せ」ってのは最強の力

だと思います。

だからこれからも、嫌なことはガンガン手放していきたいと思います。

幸せとは特別なものを掴むことじゃない、いらないものを捨てるだけで手に入るんだから。

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