この記事には広告を含む場合があります。記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
寝ぐせの王様、ミクジンです
生きてるといろんなことがあるけれど、昔どん底の底まで落ち込んだ時、ふと思ったことがことがありました。
自分の生きる意味ってなんだろう?
当時は落ちているせいかあまりにも眠れなかったので、毎日毎日いろいろなことを考えて考えて気がつくと朝…みたいな生活。
眠れないせいで無駄に時間ばかりあったので、ずっと、ずーっと考えてました。
だけどその時は答えを見つけられなかった。
でも今ならなんとなく分かる気がします。
小さい願いを叶えていくこと。
「生きる意味」なんてものがあるとすれば、たぶんそれが答えなんじゃないかと思うんです。
生きる意味とかいうと、なんだか大きい目標みたいなものを想像しがちだけど、実はそんなたいしたことじゃないと思うんです。
生きる意味なんて、
本当はしょーもないちっさいもの。
あの時の自分に言っても納得してくれるかは分からないけど、答えらしきものを見つけたのでここに書いておきます。
味噌汁さえ飲めりゃ満たされる
いきなりですが、人間は必ず死にます。
歳を取ってだけでなく、突然病気になって若くして亡くなる人もいる。
いつ死ぬかまでは分からないけど、そのうち死ぬことだけは確定しています。
じゃあそのうち死ぬのが確定してるのに、自分が生きる意味ってなんなのか?
それはたぶん最初にも言ったように、小さな願いを叶えていくことなんだと思います。
例えば仕事終わりに「早く風呂に入りたい」と思ったり、「お腹空いたから美味しいもん食べたい」と思ったり、休みの日に「散髪に行きたい」と思ったり…。
ふだんは深く考えないと思いますが、そんな小さな願いを叶えることこそが「生きる意味」と言えるんじゃないのかな。
もちろん大きな目標があって、それが生きる意味だっていう人もいると思います。
オレもかつては結婚しようとしてた彼女と、死ぬまで幸せに生きることが自分の目標であり、生きる意味でした。
でも大きな目標を叶えるためには、それを叶えるための小さな目標がたくさんあって、実際の行動はそれに向かってしていくことになると思います。
かつてのオレの場合だと、結婚するためにはちゃんと仕事して稼がなきゃいけないし、仕事するためには健康でいなきゃいけない。
健康であるためにはちゃんとご飯を食べて、たくさん寝て、歯磨きもして、運動もできれば適度にしといた方がいい。
そのためには…。
ってな感じでどんどん小さな願いになっていって、それぞれの小さな願いを叶えることが生きる意味になっていく。
そしてその小さな願いを叶えた時に「生きててよかった〜」とか思えた日にゃ、もう完全に幸せ者です。
当時のオレなんて、仕事が終わって夕食に彼女が作ってくれた味噌汁を飲んだだけで、
「はぁうめええ。生きててよかったわ」
と心から思う世界一の幸せ者でした。
そんなもんなんです。
「彼女と結婚して死ぬまで幸せに生きる」とかいう大きな願いがあったけど、実際に幸せなのは味噌汁を飲んだ時。
味噌汁さえ飲めりゃ満たされる。
しょーもないちっさい願いかもしれないけど、オレは彼女の味噌汁のためならどこまでも、どんなに仕事がしんどくてもがんばれた。
当時の彼女には怒られそうだけど、あの頃のオレは完全に味噌汁のために生きていました。
「生物が生きる意味は遺伝子を残すため」だとか小難しい話もいろいろあるけど、実際は生きる意味にそんな大それた理由なんかねえんじゃないかと思います。
味噌汁飲むために生きてるでもいいし、ゲームするためでもいいし、サウナに行くためでも、カラオケ行くためでもなんでもいい。
しょーもない願いでも「生きててよかったわ」と思えたなら、それこそが生きる意味になるんです。
人は何も感じないと生きている気がしない
生きる意味なんて「小さい願いを叶えていくことだ」と言いましたが、それがなくなるとどうなるのかも書いておきたいと思います。
最初に落ち込んでた時期があったと言いましたが、その時はすべて失ったと思いました。
「自分にはもうなにもない」
「この先できるはずもない」
そう思い込み、それまで楽しかったことも楽しくなくなったし、美味しいと思っていたものも食べる気すらおきませんでした。
本当に何もなくなった…というか何も感じなくなっていたんだと思います。
ただただなんか胸のあたりが苦しいだけ。
そんな毎日が続くうち、
「オレなんで生きてるんだろう」
「この先、生きてく意味あんのかな」
とか考えるようになりました。
最初に書いたように眠れなくてしんどかったし、時間だけたくさんあったのでいろいろ考えました。
でも気づいたらダメな方ダメな方へとばっかり考えてて、危ない時期がありました。
たぶん人は何も感じないと生きている気がしないんだと思います。
何も感じないのは小さな願いすらないから。
願っていたことはすべて否定され、この先もずっと否定され続けるんだろうと思い込み、何も願いがなくなってしまった状態。
楽しくもない。
おいしくもない。
食べる気もしない。
目標もない。
目的もない。
なんもない。
ただ胸のあたりがなんか苦しくて、無駄に時間だけがたっぷりあって、やりたいこともない何もない時間を過ごさなきゃならないことがどれだけ苦痛か。
苦痛な時間でしかないから、願いが「早くこの時間終われ」しかなくなってしまう。
最終的には、その唯一の願いを叶えるための行動に出てしまう。
今思えば、落ちる前はなんとも思っていなかった仕事終わりのお風呂も、湯上がりの牛乳も、朝起きてベランダで背伸びをすることでさえも。
すべては自分の小さな願いで、それを叶えるためにオレは生きていた気がします。
誰しもが納得するような生きる意味なんて存在しない
小さな願いなら人それぞれあるだろうけど、誰しもが納得できるような生きる意味なんて存在しないと思います。
この広い宇宙でたまたま生き物として生まれた意味が何かあるとすれば、それは神様にしか分からないことです。
いればですが。
だから生きる意味なんて、人それぞれ違う小さな願いを叶えていくことなんだと思います。
考えたって分かんないなら、もう自分のやりたいことをやっちゃえばいい。
味噌汁が生きる意味だったオレは、今ではブログが生きる意味になりました。
そしてあんなに何もなかったのに、気が付けばいろいろと願いが増えていた。
ブログが書きたい、ゲームもしたい、昼寝もしたい、蕎麦が食べたい、ハンバーグも食べたい、パフェも食べたい…ああもうとにかく食べたい…。
今だから言えることですが、何もなくなったわけじゃなかった。
すべての願いが否定されたわけじゃなく、自分の願いが聞こえないように、必死で耳をふさいでいただけだった。
考えて考えて、分かんないくせにずっと考えすぎておかしくなっていた。
ほんとはたくさんあったんだ。
でもまた否定されるのが怖くて、何もないって自分に言い聞かせて、耳をふさぐことで自分を守ろうとしていただけ。
願っても大丈夫なんだよ。
怖いのは時間が経てばぜってえ治るから、そしたらまた願ってみればいいんだ。
今ならそう思えるから、自分の声に、願いに耳を傾けてちゃんと聞いてあげようと思います。
それがどんなにしょーもねえ小さな願いでも、「生きててよかった」ってなるのはもう知ってるから。
これからもいろいろ願うし、その願いはコロコロ変わるんだろうけど…。
どうせ生まれちまったんだから、死ぬまで楽しく生きてやろうと思う今日この頃です。
そんなわけで…。
パフェ食べちゃえ